私は2年前に大切な人「主人」と死別しました。
主人は、2年間の闘病生活の末、癌末期には19日間を自宅で過ごし家族が見守る中、旅立ちました。
自分自身の余命を知りながら、最期まで全力で生き抜いた主人…。
自宅での19日間は壮絶な闘病生活でしたが、主人は自分の命をかけて、私たち家族に大切なことを教えてくれたように思います。
Contents
コロナ面会禁止のつらかった入院中に
病室でたったひとりで耐え続ける主人
それは、主人の癌は腹膜にも転移し腸閉塞を起こした入院中のことです。
治療もできないくらいの状態に悪化し痛み止めを打ちながらも、主人は襲ってくる痛みに耐え続けていました。
食事もできず、点滴だけで栄養を摂っていました。
しかし、腸液は溜まる一方でお腹は膨れ上がり、何とか腸液を出すために、一週間近く喉から太い管を入れっぱなしにして過ごしていたのです。
あの頃の病院は、コロナ禍のため家族でも面会禁止でした。
喉に管を入れているので会話をすることもできず、喉の痛みでゆっくり眠ることもできなかった主人。
想像もできないほどの痛みと戦い、ひとり病室で苦しんでいるのかと想像するだけで、私は胸が絞めつけられ苦しくなりました。
そんなに悪化した状態でも面会は許されることはありませんでした。
主人がそんなに苦しんでいるのに、会うこともできない…。
私は、そばにいてあげることもできない…。
私が送ったラインを読む気力もなく、既読にならないまま…。
主人はもちろんですが、私もあの頃が一番つらかった時期です。
大切な人が苦しんでいる時に、そばにいてあげることもできない…。
ひとり、泣き続けた日々でした。
「泣いていてもしょうがない。」
「主人が笑顔になるように、私は明るくいよう。」と、思いながらも涙が溢れ出てくるのです。
あの頃は、私自身の気持ちも、ものすごく不安定だったと思います。
でも、そんな時も主人は、ただただ痛みに耐えていたのです。
私たちに涙を見せることもなく、人や物に腹を立てるわけでもなく、我慢強く本当に「強い人」でした。
そして・・・
喉に入れていた管の効果もなく管をはずすことになり、会話はできるようになりビデオ電話もできるようになりました。
話せるようにはなったけれど、良くない状態であることは私でも想像ができました。
自分が苦しい時でも感謝をする主人
先日、一番つらかったあの頃の主人からのラインのやり取りを読み返してみました。
2年経った今再び読み返し、改めて主人の優しさと愛をひしひしと感じました。
そこにあった私にあてた主人の言葉…。
「大好き…感謝しかない!」
「ココロはふたり一緒やね…。」
そんな時でも、私に感謝を伝えてくれる人…。
私の気持ちを想ってくれる人…。
どれだけ優しいんだ・・・。
私は、自分がそんなに苦しくつらい時に、人のことまで想えるだろうか。
そんな時、感謝の気持ちを持てるだろうか。
つくづく、人としての懐の大きさを感じました…。
ひとりで、知ってしまった自分の余命
自分の余命を聞いてしまった主人
たぶん主人も、わかっていたんだと思います・・・。
主治医の先生が、病室に朝の回診に来て下さった時、何気なく主人は聞いたそうです。
たぶん、本当に軽い気持ちで・・・
「今年は年を越せますかねー?」
「いや、夏を越せるかどうかです。」
その時、6月に入っていました・・・もうすでに初夏でした。
主人は一人で自分の余命を知って、一人で自分の余命を受け入れたのでした。
そして、そのことを主人からの電話で知った私・・・
「何で、そんなこと聞いたん!!」と、私は思わず言ってしまいました。
「せめて年末までは、生きていられるかと思って!!」という主人の返事でした…。
そのことを知り、私は悩むこともためらうこともなく、決意をして行動したのです。
すぐに家に連れて帰ろう!!!
家で看病できるかどうかも考えずに・・・
「家に帰ろう!」
そして、主治医の先生に連絡をし、翌日に時間をとっていただくことにしました。
コロナ禍で通常なら病室に入ることはできなかったのですが、その日は、息子と娘と私に特別な配慮をしていただき、主人の病室に入れていただいたのです。
久しぶりの主人との対面です。
久しぶりの家族集合です。
子供たちにも、主人の余命のことは話していたので気持ちの整理はできていたようで、先生のお話を冷静にお聞きすることができました。(主人が一人で聞いて、教えてくれていたおかげで…。)
そして、主人も私たち家族も揃った中、先生のお話が始まりました。
「やはり、あと一か月くらいだと思います。」
子供たちも私も、家族全員が思ったことは同じでした。
「時間がない!!」
「最期は、みんなで家で過ごそう!!」
「家族が団結する時!!」
そして、準備を整えて、2日後には家に帰ることになりました。
余命宣告直後に家族で撮った笑顔の写真
こんな余命宣告パターンって!
余命を本人に告げるべきか、隠しておくべきか悩むこともなく、本人が一番に余命を聞いてしまったパターンです。
それも、何気ない会話の中で。
最初に聞いたときは、「何で先生は、そんなに大切なことを本人に言ってしまったんだろう。」と思いましたが、結果的に私たち家族にとっては、一番良い知り方だったと思います。
自分の余命を一番に本人が聞いて、主人が私たち家族に知らせるなんて!
家族に心の準備をさせてくれるとは…。
「家族思いの主人らしい」と、今となっては思います。
余命宣告後の家族記念撮影!
余命宣告のお話が終わった後、先生は病室で家族だけで過ごす時間を下さいました。
私たち家族誰も涙を流すこともなく…。
そして…
誰が言ったか覚えていないけれど…
「みんなで写真を撮ろう!」
起き上がることもつらかった主人が「ソファまで行く。」と言い、力を振り絞って立ち上がりました。
「余命宣告記念写真だよ!!」
その写真は、家族4人で肩を組み、みんな本当にいい笑顔でした。
やせ細った主人も最高の笑顔なのです・・・。
余命宣告された家族なんだろうかと思ってしまうくらいの、みんな笑顔の写真です。
主人が教えてくれた大切なこと
余命1ヶ月の宣告でした…。
なぜ、私たちは笑顔でいることができたのか?
それは…闘病中、主人がいつも見せてくれていた姿勢だったように思います。
起きた現実を「現実」として受け入れ、その事に対してクヨクヨ考えるのではなく前向きに捉える!
そのためには、いつも笑顔と感謝を忘れない!
その現実は、余命1ヶ月だとしても・・・。
その後、娘の旦那さんと息子のお嫁さんに余命1ヶ月であることを話しました。
そして!
家族みんなで結成した「ぱっちゃん応援隊」(ぱっちゃんとは、主人のことです。)
「主人の残された人生を、みんなで全力で応援するぞー!!!」
これが、主人と私が築いた家族の考え方なのです…!
余命を本人に告げるべきか、告げないべきかは、人それぞれだと思います。
でも、あの時に本人と家族で聞いた余命宣告があったからこそ、気持ちを切り替えることができ、家族の気持ちがひとつになって、残された時間が最高に濃く深い主人との時間になったと思っています。
余命を受け入れ、家に帰ってからの主人の毎日は、本当に素晴らしいものでした・・・。
~あなたへ~
何事もどう捉えるかで、生きて行く世界が変わり、人生も変わってくるように思います。
起こってしまった現実は受け入れるしかないのです。
ただ…
その出来事をどう捉えるか。
自分は不幸と捉えるか、自分は幸せと捉えるか…。
どんな時でも、感謝の気持ちを持ち続け笑顔でいることが、幸せの道に繋がるような気がします。
自分の命が終わることさえも笑顔で受け入れた主人に、私たち家族は、前向きな生き方と生きる意味を教えてもらいました。
どうか、あなたも笑顔で過ごして見てくださいね。