大切な人と死別しても私が悲しまない理由

大切な人を亡くして…

「悲しみを乗り越える」

「悲しみを分かち合う」

「時が経てば悲しみが薄れていく」

私には…

『大切な人の死=悲しみ』という方程式を解くことができない…。

大切な人を亡くして、悲しむのは当然のことなの?

悲しみを乗り越えるって?

悲しみを分かち合うって?

時がたてば悲しみが薄れるの?

悲しまないといけないの?

私は、そんな疑問に答えを見つけようとするけれど…

答えが見つからないのは…

私の中で「亡くなった大切な人は私と一緒にまだ生き続けている」と心から信じているからなのだと思う。

魂の存在となって生き続けている亡くなった主人と母は見えなくても見えても、今の私には関係ないのかもしれない…。

存在は見えなくても、存在を確信し心の中で会話もできるから。

声も聞こえるから…。

だから…

亡くなったふたりは「いる」のだから悲しみの感情になることもない…。

永遠に一緒に「いる」のだから悲しみが薄れたり、悲しみを乗り越える必要もないのだ。

むしろ、常に一緒に「いる」から心強い。

「いる」から温かい気持ちになる。

そこに、悲しい気持ちはない…。

本当に全くない。

見えないけれど、いつも一緒にいてくれていると信じているから。

だから、毎日幸せなのだ。

私たちは、『大切な人の死=悲しみ』という方程式を洗脳されていたのかも?

『大切な人の死=幸せ』という方程式もありだと思う。

生きている私たちも、いずれ「死」を迎える時がくるのだから。

必ず死ぬ時が来るのだから…。

それなら、残された自分の人生をどれだけ幸せに生きるかをもっと考えるほうが大事。

それは、亡くなった大切な人のためにも。

それは、亡くなった大切な人への愛。

亡くなった大切な人と一緒に生きているのだから悲しむ必要なんてない。

私は、もっともっと生きている毎日を楽しんで、もっともっと幸せになる。

~ 大切な人の死を亡くし深い悲しみの中にいるあなたへ~

私は、大切な人の死をこんなふうに捉えています。

あなたが楽しく幸せに生きて行くことこそが、亡くなった人への最高の愛だと思います。

亡くなったあの人と一緒に、毎日小さな幸せを見つけながら温かく優しい気持ちの中で過ごしてほしい…。

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