《魂の存在を信じる》シンクロニシティは亡くなった人からのメッセージだと思うと…

私は、普段から偶然すぎる出来事や奇跡的に感じる出来事を体験することがよくあります。

このような現象のことを「シンクロニシティ」ということがあります。

そして、このシンクロニシティが起こる度に、私はこんなふうに思うのです。

このシンクロニシティを引き起こしてくれたのは主人だ!

これは、亡くなった主人からのメッセージだ!

そんなふうに思って生きています…。

なぜ、私はシンクロニシティを亡くなった人からのメッセージと捉えるのか…?

これは、私流の「死別後も前向きに生きることができる」たくさんの秘訣の中のひとつなのです。

シンクロニシティを亡くなった人からのメッセージと捉えることで、私の生きて行く世界が確実に良い方向に変わっていくのです!

ここでは、私が考える「シンクロニシティと大切な人の死の捉え方」についてお伝えします。

魂の存在とは?

魂の存在とは?

私は、4年前に主人を亡くしました。

そして、2か月前に母を亡くしました。

私にとって大切な人がふたり亡くなったけれど、「今もふたりは私と一緒に生き続けている!」と信じています。

私たちの源は「魂の存在」であると考える

死後の世界は誰にもわからないと思いますが、これは私流の「死」についての信念です。

私たち人間の本当の正体は「魂」だと思っています。

言ってみれば、見えない世界に存在する「魂」こそが本当の姿。

そして「魂」は永遠に存在する。

私の中では、魂の世界は愛でキラキラしていてフワフワしているイメージ。

苦痛もなく怒りや妬みや不安などの負の感情は全くないイメージ。

そして、時間感覚もなく自由にどこへでも好きな所へ行けて、ただただ愛の感情であふれた存在のイメージ。

私は、魂に対してそんなイメージをしています。

         

それなのに…

そんな理想的な世界の「魂の存在」から、なぜ私はこの世界にやって来たのだろう?

そしてまた、私の妄想が広がって行くのです。

魂の存在でいた私はあまりにも居心地が良すぎて退屈になってしまいました。

人間でしか味わうことのできない感情や、人間でしか経験できないことを体験したくて、この人間世界に生まれてきたのだと勝手に妄想しています。

魂の存在の世界では経験できない事…

たとえば、悲しかったり悔しかったり心配したり不安になったりの感情や、挫折したり達成したりした時の感情だったり…の経験。

そして、外見にこだわったり、欲しいものを手にいれたり、物を作ったりする…経験。

病気になったり病気が治ったりする…経験。

他にもたくさん、人間にしかできない経験をしてみたくて、私は魂の存在から人間として生まれてきたのではないかと思っています。

私流の「死の捉え方」とは?

亡くなった人は生きている!

だから、人間は死んだら当然「魂の存在」にまた戻ります。

「死」とは、魂の存在にまた戻るという事…。

主人も母も、人間としての世界の経験が終わって魂の存在に戻っていっただけ…。

そして、私もいずれ「魂の存在」に戻ります…。

魂の存在に戻れば、この世界では見えない存在になるけれども、この世界を見ることはできる。

主人が亡くなってから、私はそんなことを考えるようになり、それが私流の「死の捉え方」となりました。 

主人も母も、いつも私のそばにいて私の姿を見ているのです。

魂の存在として生き続けていて、いつも私を良い道へ導いてくれているのです。

「亡くなった人は生きている!!」

シンクロニシティとは?

シンクロニシティとは?

シンクロニシティとは、心理学者ユングの概念で「意味のある偶然の一致」を意味します。

エレベーターの扉が開いたら、知り合いが立っていた。

思わぬところで、会いたかった人とばったり会った。

夜中に目覚めて時計を見ると2時22分だった。

一見すると、「単なる偶然」とか「たまたま」の出来事のようですが、これこそがシンクロニシティです。

ユングは、シンクロニシティが起きる理由として人類には共有する無意識の層があり、そこにアクセスするとシンクロニシティが起こる可能性があると言っています。

魂の存在とシンクロニシティ

魂の存在とシンクロニシティ

シンクロニシティが起こる理由ははっきりはしておらず、もしかしたら単なる偶然で何の意味もないのかもしれません。

でも!!

私は、どんな小さなシンクロニシティに対しても…

れは、魂の存在の主人からのメッセージだ!!

と思いながら、生きています…。

それは、たとえば…

クルマで買い物に行ったら混雑していたのに、お店から一番近い駐車スペースが空いていた!

運転中、前の車のナンバーが「8888」だった!

時計を見たら、11時11分だった!

今日は何も予定がないなと思っていたら、久しぶりの友達から連絡があった!

このような、本当に些細なことにもいちいち「あ、主人からのメッセージだ!」と反応します。

あっ!また主人の仕業だ!!

あっ!主人が教えてくれているんだ!!

と思い、ひとり喜ぶのです。

誰もいない時には、大きな声で「ありがとねー!」と叫んだりもしています。

シンクロニシティは亡くなった人からの愛のメッセージ!

私は、そんな些細なシンクロニシティに気づくたびに思います。

あ、主人が私がしんどくないように一番近い駐車場を空けてくれたんだな!

あ、「8888」のナンバーを通して、主人が「これでいいんだよ、大丈夫だぞ!」って伝えてるんだな!

あ、私がつまらなさそうだから友達に連絡するように仕向けてくれたんだな!

などと、自分勝手に超ポジティブに考えるのです。

そんな考え方が習慣づくと、本当に主人と一緒に生きている感覚になり、会話もできている感覚になったりします。(ちょっと変な人?)

シンクロニシティは亡くなった人からのメッセージと捉えると…

シンクロニシティは亡くなった人からのメッセージ

こんなふうに、シンクロニシティを亡くなった人からのメッセージと捉えると、生きている毎日が本当に楽しいのです!

些細なシンクロニシティにも、主人のおかげと思うことで幸せな生き方ができるように思います。

「単純すぎる!」といわれそうですが、生きて行くってそんなものだと私は思っています。

大切な人が亡くなってしまった…

悲しむのは当然のことかもしれないけれど…

でも…

魂の存在を心から信じて、亡くなった人と一緒に生きていると心から思い込むことで、残された人は前向きに楽しく生きていくことができるのではないか…。

私は、幸せに生きる世界を選びたい…。

あなたも…

亡くなった大切な人からのメッセージに気づいて下さいね…。

生きて行く世界は自分自身が選ぶことができる!

生きていくって素晴らしいこと!!

コメント一覧
  1. 10日前に婚約者を亡くしました。たまたま一緒に夜ご飯を食べなかった日に脳梗塞で倒れ、1日だけ頑張ってくれましたがすぐに行ってしまった。
    毎朝お腹に打たれる見えない杭が苦しく、気づいたらこの記事にたどりつきました。
    彼からのメッセージが早速届きまくっていて、
    たとえば彼が買ってくれた壊れたコーヒーメーカーがいつのまにか治っていた。一緒に行った沖縄で買ったハイビスカスが一輪だけ突然咲いていた。
    告別式に履く靴が無く、前の日までに動けず買えなかったのですが、斎場にいく駅の構内で早朝にもかかわらずお金を用意していないにもかかわらず、たまたま財布に入っていたお金で買えたなど、全部彼がごめんねって急にいなくなっちゃってごめんな。って
    全部彼からのメッセージだとわかるのですが
    辛くて辛くて胸が痛くて頭が爆発しそうです。

    それでも、記事を読んでいると少し穏やかな気持ちになれました。他の記事もこれから読んでみます。

    • ぴうにこさん
      お返事が遅くなりまして、申し訳ありません。
      コメント、ありがとうございます。

      大切な方が亡くなられて、2週間もたっておられないのですね。
      どうにかなってしまいそうなお気持ち、簡単に「わかります。」と言うのは違うとわかっているのですが…当然のことだと思います。
      深い悲しみや虚しさ、孤独感や苦しみは、深く愛していた証だと思います。
      ぴうにこさんには、時間という優しさが必要なのだと思います…。

      涙が出る時は、泣く。あの頃を思い出す。あの人の気配を感じる。見えないけれど話しかけてみる、感謝してみる。
      私は、そんな自分だけの時間を大事にしてます。
      明けない夜はないのだから…。
      ぴうにこさんの人生に、あたたかな灯りが灯りますよう願ってます。

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