余命を聞いても、笑顔を忘れなかった私たち家族

面会もできなかった、つらかった入院中に

ひとり病室で耐える主人

主人の癌は、腹膜にも転移し、腸閉塞を起こした入院中のことです。
治療もできないくらいの状態で、痛み止めを打ちながらも、襲ってくる痛みに耐えていました。食事もできず、点滴だけで栄養を摂っていました。しかし、腸液は、溜まる一方で、お腹は膨れ上がり、何とか腸液を出すために、一週間近く、喉から太い管を入れっぱなしにして過ごしました。

あの頃は、病院は、コロナ禍のため、家族でも面会禁止でした。

喉に管を入れているので、会話をすることもできず、喉の痛みでゆっくり眠ることもできなかった主人。想像もできないほどの痛みと戦い、ひとり苦しんでいるのかと想像するだけで、胸が苦しくなりました。そんな悪化した状態でも面会は許されず、主人は、ひとり病室で耐えていたのです。そんななのに、会うこともできない・・・。私は、そばにいてあげることができませんでした。

私が送ったラインを読む気力もなく・・・。

主人はもちろんですが、私も、あの頃が一番つらかった。

大切な人が苦しんでいる時に、そばにいてあげることができない・・・。

ひとり、泣き続けた日々でした。

「泣いていてもしょうがない。」

「主人が笑顔になるように、私は明るくいよう。」と、思いながらも涙が出てくる・・・。

私自身の気持ちも、ものすごく不安定だったと思います。

でも、そんな時も主人は、ただただ痛みに耐えていたのです。私たちに、涙を見せることもなく、人や物に腹を立てるわけでもなく、我慢強く、本当に強い人でした。

そして・・・

喉に入れていた管の効果もなく管をはずすことになり、会話はできるようになり、ビデオ電話もできるようになりました。しかし、良くない状態であることは、私でも想像ができました。

自分が苦しい時も、感謝をする主人

先日、一番つらかったあの頃の主人からのラインを読み返してみました。

私に・・・

「大好き…感謝しかない!」

「ココロはふたり一緒やね・・・」と・・・。

そんな時でも、私のことを想ってくれる人・・・どれだけ優しいんだ・・・。

私は、自分がそんなに苦しくつらい時に、人のことまで想えるだろうか。そんな時、感謝の気持ちを持てるだろうか。

主人の、人としての器の大きさを感じました・・・。

ひとりで、知ってしまった自分の余命

自分の余命を聞いてしまった主人

たぶん主人も、わかっていたんだと思います・・・。

主治医の先生が、病室に回診に来て下さった時、何気なく主人は聞いたそうです。たぶん、本当に軽い気持ちで・・・

「今年は年を越せますかねー?」

「夏を越せるかどうかです。」

6月に入っていました・・・もう初夏でした。

主人は一人で余命を知って、一人で自分の余命を受け入れたのでした。

そして、そのことを主人からの電話で知った私・・・

「何で、そんなこと聞いたん!!!!」って、思わず言ってしまった私・・・。

「せめて年末までは、生きていられるかと思って!!」という返事・・・。

そのことを知り、私は、悩むこともためらうこともなく、行動しました。

すぐに家に連れて帰ろう!!!

家で看病できるかどうかも考えずに・・・

「家に帰ろう!」

そして、主治医の先生に連絡をし、翌日に時間をとっていただくことにしました。

コロナ禍で通常なら病室に入ることはできなかったのですが、その日は、息子と娘と私に特別な配慮をしていただき、主人の病室に入れていただいたのです。

久しぶりの主人との対面です。

久しぶりの家族集合です。

子供たちにも、余命のことは話していたので気持ちの整理はできていたようで、先生のお話を冷静にお聞きすることができました。(主人が一人で聞いて、教えてくれていたおかげで・・・)

やはり・・・・

「あと一か月くらいだと思います・・・・」

子供たちも私も思ったことは同じでした。

「時間がない!!」

「最期は、みんなで、家で過ごそう!!」

「家族が団結する時!!」

そして、準備を整えて、2日後には家に帰ることになりました。

余命宣告直後に家族で撮った笑顔の写真

これが、主人と私が築いた家族!

本人に告げるべきか、隠しておくべきか悩むこともなく、本人が一番に余命を聞いてしまったパターンです。

それも、何気ない会話の中で。

最初に聞いたときは、「何で先生は、そんなに大切なことを本人に言ってしまったんだろう。」と思いましたが、結果的に私たち家族にとっては、一番良い知り方だったと思います。

自分の余命を一番に本人が聞いて、主人が私たち家族に知らせる・・・・

家族に心の準備をさせてくれるとは・・・家族思いの主人らしいと、今となって思います。

先生が出て行かれた後、病室で家族4人で写真を撮りました・・・

誰が言ったか覚えていないけれど・・・・

「みんなで写真を撮ろう!」

起き上がることもつらかった主人が「ソファまで行く。」と言い、力を振り絞って立ち上がりました。

「余命宣告記念写真」!!

今見ても、その写真は、肩を組んで、みんないい顔をしています。やせ細った主人も最高の笑顔なのです・・・。余命宣告された家族なんだろうかと思ってしまうくらいの、みんな笑顔の写真です。

余命1ヶ月の宣告・・・。

起きた現実を受け入れ、その事に対してクヨクヨ考えるのではなく、前向きに捉えて、いつも笑顔と感謝を忘れない!
その現実は、余命1ヶ月だとしても・・・。

その夜、娘の旦那さん、息子のお嫁さんにも知らせ、みんなで結成した「ぱっちゃん応援隊」(ぱっちゃんとは、主人のことです。)

「主人の残された人生を、みんなで全力で応援するぞー!!!」


これが、主人と私が築いた家族の考え方なのです・・・・。

余命を本人に告げるべきか、告げないべきかは、人それぞれだと思います。

でも、あの時に本人と家族で聞いた余命宣告があったからこそ、気持ちを切り替えることができ、家族の気持ちがひとつになって、残された時間が最高に濃く深い主人との時間になったと思っています。

余命を受け入れ、家に帰ってからの主人の毎日は、本当に素晴らしいものでした・・・。

余命19日・・・豊かな人生」読んで下さい!

~あなたへ~

何事も、どう捉えるか,どう考えるかで、見えてくる世界が変わり、人生も変わってくるように思います。

起こってしまったことは受け入れるしかない・・・。ただ、その出来事をどう捉えるか。

自分の命が終わることさえも、笑顔で受け入れた主人に、私たち家族は、前向きな生き方と、生きる意味を教えてもらいました。

どうか、あなたも笑顔で毎日を過ごしていますように。

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